■MotoGPのあゆみ
2003年もてぎ、モリワキは変わっていった
日本GPが終わってすぐに3号機が作られた。このモデルの目標は「加速時の安定性」。それが日本GPの反省点だった。
鈴鹿のテストではすぐに2分8秒台がマークされた。ライダーの芹沢太麻樹は「最終コーナーからの立ち上がりで安心して開けられた」と語った。狙い通りだった。次の課題は安定性を確保しながらの旋回性の向上だ。このようにMD211VFは毎月のように手が入れられ、進化していった。4号機もすぐに完成したが、そのフレームはミリ単位での違いしかないという。しかしそれでも全く違うマシンになっている。この年の鈴鹿8耐での経験も生かし、リヤサスの動きも良くなっていった。
そして秋までに5号機が完成、ゴロワーズパシフィックグランプリもてぎに備えられた。
10月3日、予選が始まった。しかしライダーはほとんど2、3周でピットインを繰り返し、メカニックはタイヤ交換に追われた。いいタイヤが見つからない。
予選結果23位。トップのマックス・ビアッジとのラップタイム差3秒212。MD211VFの最高速は269.7km/h。もっとも速いニッキー・ヘイデンのHONDA RC211Vは286.2km/hをマークしていた。
その差は歴然としていた。
「これが現実です。予想はしていました。タイムはもうちょっと伸びて、50秒台には入ると思っていたんですが」と森脇。
しかし芹沢の予選を見ていると、タイムアタックどころではなかった。彼がしていたのは予選通過のためのタイムアタックではなく、「決勝用のタイヤ選び」だったのだ。本来このような作業はレース前、いやシーズン前に、ある程度の方向性が確認されているのが普通だ。しかしモリワキにもダンロップにも時間はなかった。
決勝はタイヤをいたわりながら芹沢太麻樹19位で完走、後に失格者が出て18位のリザルトが残った。「芹沢は本当に我慢してくれた。もう残り10周でタイヤは完全に終わっていたそうです。それでも完走させてくれた。本当にありがたかった。でもこんなタイムじゃ全然満足できません。芹沢も私たちもね」。もう、MotoGPにデビューできたことで喜ぶモリワキではなかった。